「特定失踪者問題調査会」公表リスト |
■特定失踪者リスト第1次発表 北朝鮮による拉致の可能性の存在する事件 (第1版 平成15年1月9日作成) 特定失踪者問題調査会 <注意事項> ★これはあくまで「拉致の可能性を完全に排除することが出来ない失踪事件」のリストであり、「拉致の可能性の高い失踪事件」のリストではないので取り扱いに注意してください。1月9日現在で救う会に家族から届け出のあった失踪者及びこちらで独自に入手した失踪者の合計は150人にのぼりますが、今回の発表分はご家族が発表を了解されたものであり、非公開の失踪と比べて特に拉致の確度の高いものというわけではありません。 ★ 政府の認定した10件15人以外で寺越昭二さん・寺越外雄さん・寺越武志さん・福留貴美子さん・田中実さん・小住健蔵さんについてはすでに拉致が明らかと思われるので除外しました。また古川了子さんについては安明進氏の証言から拉致と判断して差し支えないと思われますが、9.17以降の一連の動きの中で確認されたものであり、まだ充分に一般の認知がされていないため便宜上ここに記載しました。 ★ ここに掲載されたものは基本的には本人の家族ないし関係者から救う会に対する届け出にもとづき、概ね次の3つの条件に適合するものです(一部はこの条件を満たしていませんが、可能性を排除できると認識されたもの以外は記載してあります)。 1、 失踪する理由が見当たらないこと 2、 失踪が不自然であること(失踪時、遺留品がない、あるいは逆に不自然な遺留品がある、また自室に通常と全く変化がないなど) 3、 失踪後長期にわたって情報がないこと(全国協議会には平成14年の失踪についても届けがありますが、ここには5年以上消息が分からないケースのみ記載しました) ★ 記載事項はすべて家族の申請にもとづくものであり事実関係についての検証は現時点ではしていません。ご家族の記憶違いなどにより日付等の誤りがある場合もあります。 ★ 公表を希望しない失踪者については失踪時期の横に人数のみ記載しました。なお、今後新しい情報の入手に合わせ適時発表を行っていきますが、その過程で現在非公開の方が公開になることはあり得ます。 ※(特に報道関係者の方々へ)この問題については極めて関心が高いため、公表によってメディアスクラムが起きることが懸念されます。取材でご家族に過度の負担がかからないようご配慮をお願いします。 ★ 拉致でなかった失踪者の行方が今回の発表をきっかけに明らかになればそれはそれで一つの成果です。それによってこちらの情報も絞り込んでいくことができます。拉致でないということもふくめ、情報がありましたら以下まで御連絡ください。 特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博(090-8517-9601) 専務理事 真鍋貞樹(090-3596-6836) ★ 以下、リストの中では敬称はすべて略します。 1953(昭和28)年 男性1名 1955(昭和30)年 ● 中野 政二他11名 漁船1隻 ※本件はご家族の届け出は29年ですが、30年という説もあります 失踪時期 9月24日 失踪当時の年齢 22 失踪場所 東シナ海で行方不明 失踪当時の身分 漁船員 失踪当時の状況 乗組員全員が行方不明。この1年半前に、同じような場所で韓国に1度拿捕され、1年と10日間拘束され戻ってくる。その半年後の事件 連絡先 中野智之・甥 0743-78-8459 1958(昭和33)年 ● 中村 健一(通称武康) 失踪時期 5月28日 失踪当時の年齢 20 失踪場所 長崎県長崎市の下宿先 失踪当時の身分 写真技術者 連絡先 大森優・義弟 095-839-1314 1960(昭和35)年 他に女性1名 ● 山下 平 失踪時期 6月19日朝8時頃 失踪当時の年齢 25 失踪場所 東京都江戸川区 失踪当時の身分 自営業 失踪当時の住所 千葉県佐倉市 失踪当時の状況 勤務先から外出したまま不明。 連絡先 鴇崎(ときざき)幸江・妹 043-443-9055 1961(昭和36)年 ●正木 冽子(れつこ) 失踪時期 9月24日 失踪当時の年齢 18 失踪場所 徳島県徳島市眉山公園山頂 失踪当時の身分 看護婦 連絡先 正木 徹雄・兄 0298-71-0644 1962(昭和37)年 女性1名 1963(昭和38)年 女性1名 1966(昭和41)年 女性1名 1967(昭和42)年 男性2名 1968(昭和43)年 他に男性1名 ● 斉藤 裕(ひろし) 失踪時期 12月1日夜8〜9時頃 失踪当時の年齢 18 失踪場所 北海道稚内市内 失踪当時の身分 高校3年生 失踪当時の状況 友人宅を訪ねた帰りに、浜の方へ行くと言ったきり消息を絶つ。当日気温+8度、晴天、積雪0,風5・。就職も決まっていた。 連絡先 斉藤由美子・姉 011-685-7191 1969(昭和44)年 他男性1名 ● 今井 裕(ゆたか) 失踪時期 3月2日午後5時頃 失踪当時の年齢 18 失踪場所 青森県弘前市内 失踪当時の身分 工業高校3年生 失踪当時の住所 青森県弘前市 失踪当時の状況 卒業式の答辞を読むことになっていたので、制服のボタンを買いに行き行方不明に。 連絡先 今井英輝・兄 0172-37-8028 ● 大屋敷 正行 失踪時期 7月27〜29日 失踪当時の年齢 16 失踪場所 静岡県沼津市大瀬崎海岸 失踪当時の身分 商業高校2年生 失踪当時の住所 東京都江戸川区 失踪当時の状況 友人とバイクで海水浴へ行き宿泊。夜中にトイレに行くと外へ出たまま戻らず。貴重品は枕元に残したまま。高校生活を楽しんでいた。 連絡先 山口幸子・姉 03-3675-4894 1970(昭和45)年 他男性2名 ● 松本 賢一 失踪時期 6月 失踪当時の年齢 34? 失踪場所 関西? 失踪当時の身分 自衛官(海上)、家具職人の経歴がある 失踪当時の状況 当時北朝鮮人らしい女性と交際していたが、女性の背後に北朝鮮人らしい数人の男性の存在があることが分かり、その女性と別れたいという旨を語ったのが最後でその後消息を絶つ。 連絡先 杉浦由紀子・妹 0562-97-3240 1971(昭和46)年 男性2名、女性2名 1972(昭和47)年 他に男性1名、女性2名 ● 生島 孝子 失踪時期 11月1日夕刻 失踪当時の年齢 31 失踪場所 東京都渋谷区の自宅を出て以後不明 失踪当時の身分 交換手 失踪当時の状況 「夕方に電話があったら出かける」と出かけたきり行方不明。翌2日夜、男性の声で電話があり「今更仕方ないだろ」と言って切れた。 連絡先 生島馨子・姉 03-3565-3864 1973(昭和48)年 他に男性1名 ● 山口浩一・女性(氏名非公表) 失踪時期 5月 失踪当時の年齢 18 失踪場所 青森県十和田湖のホテルから連絡があったきり消息不明。 連絡先 山口まゆみ・妹 0729-64-1275 ● 古川 了子(のりこ) 失踪時期 7月7日 失踪当時の年齢 18 失踪場所 千葉県市原市 失踪当時の身分 会社員 失踪当時の状況 美容院の予約と母親と買い物に行く約束をキャンセルし出かけたまま行方不明。 ※平成14年12月6日、姉が訪韓し、安明進氏と対面、安氏は1991年9月頃北朝鮮の915病院で会った女性が古川了子である可能性が高いと証言。 連絡先 中村実・救う会千葉事務局長 090-8499-9388 ● 男性(非公開)・遠山文子 失踪時期 7月下旬 失踪当時の年齢 21 失踪場所 石川県羽咋市柴垣の海岸 失踪当時の身分 会社員 失踪当時の状況 遠山さんは昭和48年3月末に家出。その後二人で暮らしていた様子。そのアパートを親御さんが訪ねた1週間後引き払う。当初は墨田区押上に在住、その後福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪と転々とする。遠山さんの友人にアルバムなどが送られてくる。 連絡先 竹下愛子・姉 0489-77-6411 ● 江藤 健一 失踪時期 8月19日 失踪当時の年齢 20 失踪場所 千葉県千葉市幕張町? 失踪当時の身分 写真会社に勤務する傍ら印刷工学を専攻する学生 失踪当時の住所 千葉県千葉市幕張町 失踪当時の状況 当日朝8時に勤務先に明日より出社すると電話をしている。29日に友人3人がアパートに来たが留守、30日の正午まで待つが帰ってこない。 連絡先・江藤健次郎・兄 0598-42-4664 1974(昭和49)年 他にアベック1組、男性1名 ● 大沢 孝司 失踪時期 2月24日 失踪当時の年齢 27 失踪場所 新潟県佐渡島新穂村 失踪当時の身分 新潟県佐渡農地事務所勤務 失踪当時の状況 自宅近所の飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。 連絡先 大沢昭一・兄0256-72-2166 ● 荒谷 敏生 失踪時期 5月13日 失踪当時の年齢 26 失踪場所 富山県新湊市? 失踪当時の住所 富山県新湊市 失踪当時の状況 外出したまま行方不明。10年以上前(不確か)に女性より不審な電話があった。家は庄川近く。このあたりは北朝鮮工作員の接線地点(連絡を取り合う場所)、浸透ポイント(不法上陸する場所)が多い。 連絡先 矢島文恵・妹 090-3510-9249 1975(昭和50)年 他に男性1名 ● 明石 靖彦 失踪時期 5月18日 失踪当時の年齢 14 失踪場所 石川県珠洲市蛸島町鉢ヶ崎海水浴場付近 失踪当時の身分 中学3年生 失踪当時の状況 「直ぐ帰る」と言って自転車で出たまま帰宅せず。鉢ヶ崎海水浴場付近で自転車が発見され、沖合にボートが浮いていてその中に靖彦さんの草履と靴下があった。ボートは倉庫に保管されていたもの。 連絡先 鵜澤三希子・妹 03-3951-3661 1976(昭和51)年 他に男性2名 ● 国広 富子 失踪時期 8月2日夜8時半 失踪当時の年齢 24 失踪場所 山口県宇部市自宅近所 失踪当時の身分 看護婦 失踪当時の状況 母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、300円のみを持って家を出てそれきり消息不明。 連絡先 辻口文子・妹 0836-21-7927 1977(昭和52)年 他に男性5名、女性1名 ● 新木 章 失踪時期 5月21日 失踪当時の年齢 29 失踪場所 外出して以来行方不明 失踪当時の身分 銀行員 失踪当時の住所 埼玉県 連絡先 横山木三子・妹 048-296-8187 ● 前上 昌輝 失踪時期 9月22日 失踪当時の年齢 19 失踪場所 北海道旭川市失踪当時の住所 京都府京都市 失踪当時の状況 北海道富良野で過ごした後、旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けその後消息を絶つ。11月初旬に不審な電話があったが、以来手がかりは全くない。 連絡先 前上なみゑ・母 075-781-8883 ● 松本 京子 失踪時期 10月21日午後8時頃 失踪当時の年齢 29 失踪場所 鳥取県米子市自宅近く 失踪当時の身分 家事手伝い 失踪当時の住所 鳥取県米子市 失踪当時の状況 自宅近くの編み物教室に行くと家を出て消息不明。普段着で現金も持っていなかった。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で本人と2人の男が話をしているのを近くの人が目撃、「何をしている」と声をかけると男がこの人を殴り、その直後、片方のサンダルを残したまま2人の男と松本さんは姿を消した。また事件前日、前前日の二日間不審な黒のクラウンが事件現場であるビニールハウスの前に停車していた。近所の方が『往来の邪魔になるから車をどけて欲しい』と言ったところ、車中から三人の男性が出てきたとの情報がある。 連絡先 妹原(せはら)仁・救う会鳥取事務局長 0859-35-2837 ● 後藤 久二 失踪時期 10月30日夕方 失踪当時の年齢 63 失踪場所 新潟県上越市の自宅近く。 失踪当時の状況 奥さんの代わりに醤油を買いに出たまま消息不明。 連絡先 根岸慶子・長女 048-267-4039 ● 金武川 栄輝他6名 漁船1隻 失踪時期 11月24日 失踪当時の年齢 26 失踪場所 沖縄近海 失踪当時の身分 漁船員 失踪当時の住所 沖縄県中頭郡 失踪当時の状況 マグロはえなわ漁船で、11月24日、平良港を出航、12月20日頃帰る予定が戻らず。第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。家族が海外まで探しに行くが手がかりなし。 連絡先 金武川清吉・父 098-977-7571 1978(昭和53)年 男性3名 1979(昭和54)年 男性4名、女性2名 1980(昭和55)年 他に男性3名、女性1名 ● 小久保 稔史(としひと) 失踪時期 1月13日23時頃 失踪当時の年齢 32 失踪場所 京都府舞鶴市 失踪当時の身分 船員 失踪当時の住所 三重県鳥羽市 失踪当時の状況 仕事で寄港した舞鶴に上陸し、東舞鶴のスナックを出た後行方不明。 スナックから船までは徒歩で30分以上かかり、タクシーを使わなければ戻れないが、スナックからタクシーは呼ばなかった(舞鶴には流しのタクシーはなく、必ず電話で呼ばなければならない)。 連絡先 小久保明美・妻 0599-25-7205 1981(昭和56)年 他にアベック1組 ● 辻 與一 失踪時期 12月5日 失踪当時の年齢 28 失踪場所 三重県桑名市 失踪当時の身分 高校教諭 失踪当時の状況 下宿で洗濯機を回しているとき生徒に呼び出され、白い車に乗せられて行ったまま行方不明。 連絡先 辻弘子・叔母 06-6652-2323 1982(昭和57)年 他に女性1名 ● 永山 正文 失踪時期 9月18日 失踪当時の年齢 23 失踪場所 東京都新宿か? 失踪当時の身分 東京都庁職員 連絡先 平野登美・妹 042-384-6278 1983(昭和58)年 男性1名、女性1名 1984(昭和59)年 他に男性1名、女性2名、6人乗り漁船1隻 ● 広田 公一 失踪時 7月21日 失踪当時の年齢 28 失踪場所 鳥取県大山 失踪当時の状況 登山に一人で出かけた。その後行方不明。大山登山口南川原駐車場に止めたままで、午後6時20分到着のメモを残す。車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからはすすまない。 ● 井尻 恵子 失踪時期 3月16日午前4時 失踪当時の年齢 23 失踪場所 京都市市内の自宅前 失踪当時の身分 スナック手伝い 失踪当時の状況 同僚と飲みに出かけ、翌16日午前4時頃、自宅前でタクシーを降り、その後行方不明。現場は終夜人通りの絶えない繁華街。 連絡先 櫻井功・親類 075-561-5584 ● 種田 誠 失踪時期 5月20日 失踪当時の年齢 33 失踪場所 京都府内 失踪当時の身分 焼肉料理店「天壇」チーフ 失踪当時の状況 職を変えたいと実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものは残したまま、以来何の連絡もなし。 連絡先 浜田茂久・救出鹿児島の会会長 090-3195-1476 ● 山本 美保 失踪時期 6月4日 失踪当時の年齢 20 失踪場所 山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明 失踪当時の状況 図書館に行くと言って出かける。4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。失踪の3年4カ月後から無言電話が4年半ほど続く。 連絡先 ● 伊原 照治 失踪時期 8月28日正午 失踪当時の年齢 26 失踪場所 東京都神田駅 失踪当時の身分 会社員 失踪当時の状況 同僚と共に得意先に届け物をしてその同僚と神田駅で別れたあと消息不明。 連絡先 伊原伸子・母 011-726-3085 1985(昭和60)年 他に女性1名 ● 秋田 美輪 失踪時期 12月4日 失踪当時の年齢 21 失踪場所 兵庫県神戸市の大学前 失踪当時の身分 大学4生 失踪当時の状況 12月4日、大学で午前の授業を受け、1時過ぎに学食で友人と食事をとった後、校門近くで友人と別れた。夜8時過ぎに友人宅へ泊まると家に電話あり。 翌朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜でバッグが見つかったとの電話。 連絡先 秋田正一郎・父 088-622-6653 1986年(昭和61)年 男性1名 1987(昭和62)年 ● 西安 義行 失踪時期 3月15日 失踪当時の年齢 21 失踪場所 京都府山陰本線綾部駅前 失踪当時の状況 友人と舞鶴方面へドライブ。帰り道、綾部駅前で夕方友人と別れた後消息不明。 連絡先 西安逸郎・父 0795-85-1314 1988(昭和63)年 他に女性2名 ● 林田 幸男と友人 失踪時期 7月17日 失踪当時の年齢 53 失踪場所 宮崎県宮崎市赤江大淀川河口(通称タンポリ) 失踪当時の状況 林田さん所有の遊漁船1トンで午前4時頃出港、その後消息を絶つ。 海と空から捜索を続けたが見つからず。パーソナル無線を持っていたのに連絡がない。 べた凪だった。 連絡先 林田雪代・妻 0983-22-4074 ● 矢倉 富康 失踪時期 8月2日午後6時 失踪当時の年齢 36 失踪場所 鳥取県・美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった 失踪当時の身分 漁師(前職はマシニングセンターの技術者) 失踪当時の住所 鳥取県米子市 失踪当時の状況 「一世丸」5トンで一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定であったが行方不明。8月10日に海上保安庁から竹島沖南南東25・で漁船発見と連絡が入るが、予想操業海域で何らかの理由で航行不能になったとしても潮流の関係からその場所へ移動することはなく不審なことのひとつ。左舷前方に他の船と衝突した痕跡。付着した塗料から相手が分かると思われたが、海上保安庁からその後連絡はない。 遺体が上がらないことも不審な点である。 連絡先 妹原(せはら)仁・救う会鳥取事務局長 0859-35-2837 1989(平成元)年 男性1名 1990(平成2)年 女性1名 1991(平成3)年 他に男性2名、女性1名 ● 大政 由美 失踪時期 3月28日 失踪当時の年齢 24 失踪場所 韓国慶州市 失踪当時の身分 大学研究生 失踪当時の住所 三重県 失踪当時の状況 3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。 連絡先 大政峰男・父 089-982-2385 ● 佐々木 悦子 失踪時期 4月22日 失踪当時の年齢 27 失踪場所 埼玉県川口市 失踪当時の身分 銀行パート 失踪当時の住所 埼玉県 連絡先 佐々木アイ子 048-265-5751 ● 小野寺 将人 失踪時期 7月19日 失踪当時の年齢 24 失踪場所 北海道富良野 失踪当時の身分 会社員 失踪当時の状況 7月19日、富良野ラベンダー祭りに登別駅レンタカーで出発。1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊。10月26日十勝岳中腹のホテル瑞雲閣の駐車場でレンタカー発見。免許はなくなっていた、銀行預金は引き出されていない。 連絡先 小島しげみ・母 048-962-5848 ● 福山 ちあき 失踪時期 11月3日 失踪当時の年齢 18 失踪場所 大阪府? 失踪当時の身分 高校3年生 失踪当時の状況 就職も決まっていた。生活道具は一切そのまま。 連絡先 福山はるみ・母 06-6213-8683 1992(平成4)年 ● 松橋 恵美子 失踪時期 1月15日 失踪当時の年齢 26 失踪場所 秋田県 失踪当時の住所 秋田県北秋田郡 失踪当時の状況 隣町の祖母宅へ行くと言って出かける。その日は戻らなかったので友人の家に行ったのだろうと思っていたら、翌朝出勤していないことがわかる。家族で探したところ、能代市能代浜で車が見つかる。車内には身の回りのものが全て残っていた。 連絡先 松橋要吉・父 0186-78-2740 1994(平成6)年 男性1名、7人乗り漁船1隻 1995(平成7)年 他に男性1名 ● 松永 正樹 失踪時期 8月28日午前3時半頃 失踪当時の年齢 30 失踪場所 北海道か? 失踪当時の住所 香川県 失踪当時の状況 8月28日「福井へ10日から2週間仕事で行ってくる」とメモを残し家を出る。同日、福井県三方五湖農協西部でガソリン34リットル給油、9月1日以降網走、阿寒湖などで給油、9日に足寄で29リットル給油。同月14日北海道消印で、本人が本人宛に書いた封書届く。本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。9月12日に青森みちのく新町で5万円下ろしている。12月19日、北海道苫小牧駅前交番より車が見つかったと連絡。 連絡先 松永良子・母 0877-62-3554 1996(平成8)年 男性2名 1997(平成9)年 男性1名 (これ以後起きた失踪も数件届け出があるが今回はリストに入れていない) <所見> ●いずれの事案も北朝鮮による拉致と断定はできません。古川了子さんについても安明進氏は100パーセント間違いないと言っているわけではありません。しかし失踪の状況と安明進証言を合わせて考えれば可能性は極めて高いと言えるでしょう。もとより、これについて「100パーセント」と断定するのは北朝鮮が認めて発表し、本人が現れる以外に不可能なのだから、可能性の排除できないケースについてはいったん北朝鮮にいるものと仮定して調査し、日本国内及び北朝鮮から出る情報を精査していく必要があると考えます。非公開も含めた今回のリストの1割でも現在の政府認定拉致被害者の数に匹敵します。数十人から、場合によれば100人を越すかも知れない拉致被害者を救出するにはこれまでのようなミクロの見方ではなく、北朝鮮という国の特性から考えたマクロの見方が絶対に必要です。 ●発生年順の統計でみると70年代後半、金正日が工作員敵地化を指示した時期に多いなど、多少の多寡はあってもこの半世紀、ほぼ万遍なく疑わしい事件があります。北朝鮮が韓国人拉致(朝鮮戦争中8万3千人、休戦後韓国政府発表で486人)を大規模に行ったりレバノンからも拉致をしたりしていること、拉致ではありませんが朝鮮戦争、ベトナム戦争の韓国軍捕虜を抑留していることなどからも拉致は特別な事件ではなく、北朝鮮にとって通常の行動であると考えられます。帰国運動もこの延長線上のことと言えなくもありません。したがって拉致は昔から行われており、今後も行われる可能性があるということです。寺越事件も遭遇という側面が強く意識されてきましたが、たとえそうであっても目撃者を北朝鮮まで連れて帰るというのは拉致するという発想が「常識」として存在したということではないでしょうか。 ●地域的にみると問い合わせのあった事案は日本全国ほとんどの地域、また海上、外国でも発生しています。 ●専門技術、専門知識を持った人の失踪が見られます。 ●カップルの失踪の頻発 1971〜74年に4件、1981年に1件とカップルの失踪が集中しています。1978年に3件のアベック拉致と1件の拉致未遂が起きており、合わせれば10年の間に9件(未遂含む)になります。 ●20代女性の失踪の集中 1960年代、1970年代、1980年代、1990年代のそれぞれ初期10年おきに若い女性の失踪が目立っています。特に1982年から1985年までの4年間に7名と集中的に起きています。 ●海上で消息を絶った例 漁船の乗組員が船ごと消息を絶った例があります。因みに韓国では操業中の漁船員の拉致被害が多く見られます。また、単独での操業中、あるいはボートで海に出た後の行方不明事件があります。これらは寺越事件を連想させます。 ●91年から92年の初めにかけても失踪が連続しています。 ●この届け出は同様の失踪者全体の中ではごく一部です。救う会に相談のないケース、被害者に身寄りがなく警察などにも届け出がないケース、家族が表沙汰にしたくないケースなど存在がし、非公開を含めても氷山の一角と思われます。 以上の判断に「証拠がない」「不確かだ」というのは自由です。しかし、現実に拉致の可能性が低いとされていた曽我ひとみさん失踪が拉致であったのだから、個別の認定ではなく、「多数の日本人が拉致されており、現在も救いを待っている」という前提で、具体的に拉致被害者の情報を収集し、救出を実現するための公的機関を作るべきだと考えます。特定失踪者問題調査会は今後さらに調査を進め拉致事件の全貌を明らかにしていく所存です。ご協力をよろしくお願い申し上げます。 ■特定失踪者問題調査会について(H15.1.10) 設立 平成15年1月10日 設立趣旨 北朝鮮による拉致の疑いのある失踪者(以下、特定失踪者と称する)についての調査を行い、あわせて拉致の全体像を明らかにする。救う会等運動体と連携して政府未認定の拉致被害者に対する関心を喚起し、救出に資する。 活動 1)届け出のあった失踪事件及び情報を入手した失踪事件についての調査 2)北朝鮮の工作活動全般に関する研究を通し拉致の全体像を調査する 3)各種情報の収集 4)その他 役員 代表 荒木和博(前救う会全国協議会事務局長) 専務理事 真鍋貞樹(地方議員の会副会長・小平市議) 理事 兵本達吉(元参議院議員秘書・救う会全国協議会幹事) 増元照明(家族会事務局長) 西岡力(救う会全国協議会副会長) 青木英実(福岡救う会代表) 妹原仁(救う会鳥取事務局長) 吉島信人(救う会全国協議会幹事) <他、必要に応じ追加する> 事務所 〒112-0004 東京都文京区後楽2−3−8 第6松屋ビル401 Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059 (JR・地下鉄飯田橋駅徒歩2分) |
■園田さん御夫妻のデータについて(平成15年1月17日)
本日、鹿児島県で失踪された園田一さん、敏子さん夫妻のご家族がご両親の失踪について公表に踏み切りました。お二人については1月10日の第1次発表では非公開になっていましたが、調査会では10日の発表後、公開に切り替える旨の連絡を連絡をいただいており、第2次発表では公開される予定です。なお、第1次発表の中で「カップルの失踪の頻発」とあった内の1件はこの事件です。 園田さん御夫妻の失踪の概要は次のようなものです。なお、内容はご家族からの報告に基づくものであり、個別に調査したものではありません。 失踪者:園田一さん(大正7年2月25日生・ジャパン・ファーム勤務)・敏子さん(昭和4年9月7日生) 失踪時期 昭和46年12月30日 失踪場所 鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中 正月休みで帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。都城市へよってから国道269号線を走って行くと言っていた。 車の破片さえ発見できなかった。 人に恨みを買うような人ではなかった。 昭和46年10月2日、頴娃海岸(鹿児島県揖宿郡)で、海の方からゴムボートが海の方から上陸するのを目撃した夜釣りをしていた人がいて、指宿署に通報。後日2人が事情聴取され、外国人登録証を持たない、北朝鮮生まれの人だった。このような事件があったことが最近わかる。 連絡先 前山利恵子さん(長女・0994-44-4016) ※報道関係各位・何度もお願いしていますがご家族に対する取材の殺到で混乱が生ずる可能性があります。報道にあたっては充分なご配慮をしていただくようお願い申し上げます。 |
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